米国に最初に上陸した日本人

先週、北米在住の友人が日本に一時帰国しており、雑談している中で、「米国本土に最初に上陸した日本人」についての話を聞いた。あまりに興味深い話なので、ネットで色々と調べてみた。

ジョン万次郎、いや支倉常長かな、と思いきや、意外な答えが。正解は「三吉」、これは漂流した漁民三人の名前の総称で、音吉(乙吉とも云う)、岩吉、久吉の三人を指す。彼らは中部国際空港(セントレア)の南に位置する現在の愛知県美浜町出身の漁師。1832年、江戸に向かう米を積んだ船が遠州灘で難破し、1年余り太平洋を彷徨い多くの同僚船員を亡くしつつも、シアトル郊外にあるオリンピック半島先端のフラッタリー岬に漂着した。

その後も相当に数奇な人生を送ることとなる。

一度は現地で奴隷のような状態になったらしいが、イギリス船に保護され、彼らはロンドンに渡る。英国に上陸した最初の日本人も実は彼らと言われている。

当時の英国は彼らを日本に返そうとし、ロンドンからマカオに送られた。この時点で日本を出てから三年が経過。ここで史上初の聖書の日本語訳に協力。

それから2年後、アメリカのモリソン号にて帰国しようとしたが、当時の異国船打払令により砲撃を受け帰国は叶わず。上海、そしてシンガポールに定住した最初の日本人となり、そののち英国に帰化した最初の日本人となる。実に初物尽くしである。

音吉が卓越した人物だと思うのは、こんな状況にありながら、我が身を嘆くのではなく、上海において日本人漂流民の帰国に尽力し続けたことである。彼が日本への帰国を助けた漂流民は約20名という。

1843年に上海の英国系貿易会社で働き始め、上海で生活していた1861年までに、日本との通商を希望していたイギリス政府の通訳として2度日本に上陸した。そして1862年にはシンガポールに移住し貿易会社を経営。しかし、1867年、明治の直前に病気のため50歳で死去。なんとも大河ドラマになりそうなほど壮烈な人生である。

江戸時代の日本人で海外に渡った人としては、ロシアの大黒屋光太夫や高田屋嘉兵衛らが有名だが、音吉さんも、海外進出した偉大な日本人の大先達、そして日英通訳翻訳のパイオニアとして、歴史教育で取り上げられてもよいのではないかと思う。

参照記事;

*愛知県美浜町公式HP にっぽん音吉漂流の記

*音吉 wiki

*ブログ 百聞は一見に如かず「アメリカとイギリスに上陸した日本人第一号とは?万次郎の先を行っていた国際人」