享年93歳、大往生だろう。本当に多くの人が惜しい人を亡くした、とか。霊界で妖怪と運動会してるのでは、とか、睡眠力や氏の七か条の話題を書いている。
自分にとっての水木しげるさんの最大の思い出は、幼い 頃トラウマになったアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」シリーズである。私の世代は、第一期の白黒アニメだった鬼太郎にはほとんど馴染みがないが、カラーになった第二期のほうは、小学校時代にかなりの頻度で再放送されていたためよく見ていた。
子供向けの勧善懲悪妖怪退治ものと思いきや、実はトンデモナイ恐ろしい話がいくつかあり、中でも「足跡の怪」(下記動画)は、本当に夢に出るくらい恐ろしかった。簡単に書くと、登場人物が、霊のたたりで目や耳や鼻が削げ落ち、死んでしまうという話。
今改めてみたら、さすがに子供の頃ほどには怖くないものの、やはりグロいし、何とも救いのない話だ。そして何より、鬼太郎は完全に脇役である。
下記「地相眼」も怖かった。こちらは、妖怪の力で事業を成功させた実業家に対し、妖怪が責任を迫り、息子が石にされるという話。このエピソードでも鬼太郎は傍観者であり全く無力である。
この第二期の鬼太郎では、45話のうち半分以上の23話が、元々は鬼太郎原作ではない水木先生の短編が元ネタとなっている。本放送のあった1971−72年という、オイルショック、ベトナム戦争、浅間山荘といった暗澹とした社会背景を反映した部分もあったようだ。
といったように、自分の幼少時の水木先生はトラウマの源だったのだが、大人になってから愛読したのは氏の自伝的作品である「コミック昭和史」。
これは昭和の歴史を氏の視点からなぞった歴史漫画、特に太平洋戦争の悲惨さを描いた作品であると語られる事が多い。もちろんそれは事実でそういう読み方を最初はしたのだが、二度目、三度目と読み返したとき目がとまるのは、水木先生とニューブリテン島(現在のパプアニューギニアに所属)の土人たち(あえてこう書きます)であるトペトロやエプペたちとの交流の部分。
ラバウルの激戦で水木先生は片腕を失い現地で死にかけるのだが、現地人たちに助けられ、身内のように親しくなる(なぜかパウロと呼ばれる)。終戦後も日本に帰国せずそのまま土着しようと思うが、上官から一度は戻って親にも会えと言われ「すぐ戻ってくるから」と帰国。再訪するのは25年後の1970年。そのあたりの漫画の話が本当にワクワクするほど面白いのだ。
余談だがニューブリテン島は九州とほぼ同じ面積と太平洋諸島でもかなり大きい島。現在その最大都市となったラバウルは軍歌にもその名がよく出てくる場所で、日本軍が強固な要塞を築き、結局終戦まで米軍は包囲はしても攻め込むことはできなかった場所である。
ということで、水木しげる先生といえば「足跡の怪」「地相眼」そしてニューギニアの原住民たちとの交流。こんな側面もあることを少しでも多くの人に知ってもらえたら嬉しい限りである。
さらに余談だが、水木先生は地元境港の発展のために、ご自身のキャラクターをほとんど無償で利用させて、空港名にもなり、国内外の観光客の増加、商店街等の発展にもつながった。お亡くなりになったこのタイミングで、キャンペーン的に電子書籍で「コミック昭和史」「総員玉砕せよ」「劇画ヒットラー」などを公開して、多くの人に読んでもらうようなことは考えられないだろうか。そういえばこの夏に岩手県の遠野に行った折に氏による漫画「遠野物語」が売られていて衝動買いしたがこれも名作。
取りとめない文章になったが、一般的な鬼太郎やゲゲゲの女房とは違った、水木先生の多面的な作品軍が読み継がれていくことが、たぶん最大の供養となることだとう思う。長い漫画家人生、本当にお疲れさまでした。