日本フィギュアスケート殿堂の設立を!

野球を観るのが大好きなので、プレミア12も終わり、NPB(日本プロ野球)もMLB(米国メジャーリーグ野球)も、MVP、新人賞、ベストナイン等各賞の発表も全て終わるこの時期は少し寂しいものだ。
FAなどストーブリーグの動きも眺めつつ、次なる楽しみは、毎年1月初旬の日米の野球殿堂入り投票の結果発表である。

MLBの殿堂入りというのは大変な名誉であり、多くの米国の野球ファンはその結果をとても興味深く眺めている。NPBのほうはそこまでのステータスはないかもしれないが、東京ドームにある野球殿堂博物館は日本の野球の歴史を物語る素晴らしい施設だと思う。

実はフィギュアスケートにも殿堂がある。

世界フィギュアスケート殿堂 wiki

米国コロラドスプリングスにあるこの殿堂は、フィギュアスケートの発展に大きく貢献した人を顕彰する組織であり、1976年の最初の選出以降は毎年だいたい数名が選ばれる。やはり選手が大半であり、アマチュア引退後5年経過すれば選出される対象者となる(このへんは野球に倣ったのかもしれない)。日本人はこれまで伊藤みどりさん、佐藤信夫さんの二人が殿堂入りを果たしている。米国にあることから殿堂入りについても北米偏重との批判もあるようだし、その選出基準や選考方法に不明瞭さも批判があるようだが、まずはこういった、一つの競技の歴史を築いてきた選手、指導者、審判 等をたたえ、歴史を振り返る組織、仕組みがあることは素晴らしいことだと思う。

翻って、日本は世界でも屈指のフィギュアスケート強国であり、ここ10年来男女シングルでは毎年優勝候補やメダリストを輩出している。また、日本は今や世界で一番フィギュアスケートの試合やアイスショーに多くの観客が熱狂する国であり、明日から開幕するNHK杯フィギュア(長野)も、チケットはあっという間に完売している。日本のファンたちはもちろん日本選手に大きな声援を送るが、一方で角国どの選手に対しても暖かい応援をすると世界中の関係者で評判になっているらしい。

であれば、日本単独のフィギュアスケート殿堂も存在すべきではないだろうか。
過去の名選手やスケート界に貢献した方々を称え後世に歴史を語り継ぎつつ、今後も素晴らしい選手が輩出され続けるよう、通年リンク等練習環境の支援や、競技人口のすそ野を増やすことへの取り組み、日本の課題たるカップル競技(ペア、アイスダンス)の強化など、今これだけの人気があればこそやれることがあるのではないだろうか。

全くの思いつきだが、殿堂入りした過去から現代の名選手たちの様々な記念品等を展示するとともに、過去の映像アーカイブも蓄積し、主たる競技大会の際はパブリックビューイングを行ったり、講演会的なものをやったり、通年で書籍、DVDやグッズの販売などをやる施設があれば、かなり賑わうのではないかとも思う。
東京にあるのが一番集客できるだろうが、あえて最近通年リンクが出来た盛岡や新潟に設けて、地域活性化につなげるのも一案だろう。

今回のNHK杯に出場予定の浅田真央選手、羽生結弦選手という、歴代でも最高峰レベルの選手たちの下の世代にも次々と新星が登場しているのは素晴らしいことである。ただ、今の現状はそれぞれの選手・コーチたちの身を削るような努力に支えられていて、組織的な選手輩出のメカニズムが機能しているようには感じられない。何より本当にお金のかかるスポーツ。もちろんこれだけ国も地方も財政赤字の極限にある中で公共の予算をつけることには相当慎重でなければならないが、なんといってもお金を出すことを厭わないこれだけたくさんのファンがいるし、トップレベルになれば多くの企業にとって魅力的な広告の対象となれるのだ。民間の資本をうまく取り込む方法は、殿堂に限らずで色々考えられると思う。

そして、今の反映の礎になってきてくれた、例えば男子なら佐野稔、五十嵐文男、本田武史、高橋大輔らの先駆者たちの足跡や物語をこれからの世代にも伝えてゆけるような何かをもっと強く推進すべき時期なのではないだろうか。

NHK杯フィギュア。浅田選手、羽生選手だけでなく、他の日本選手、外国選手全員が、今年最高の演技をしてくれることを期待します!!

NHK杯フィギュア2015 公式HP

寝台急行はなます ラストランに向けて

気がつけば、「寝台急行はなます」の廃線(2016年3月中旬)がもう間近になってきている。

寝台車は昭和の日本の風物詩ともいえるノスタルジーがあるのだが、航空機の値段低下、ビジネスホテル等安価な宿泊施設の増加、新幹線網の発達、車両の老朽化とダイヤ編成の難しさ等からここ10数年で次々と廃線。今残っているのはゴージャスなものか、サンライズのような若者向けのものばかりで(それすら多くはない)、昨年3月に上野=青森を結ぶ「寝台特急あけぼの」が廃線となった現在、
青森と札幌を結ぶ「寝台急行はまなす」が最後の砦だった。

しかしながら、函館への新幹線の延伸を来春に控え、青函トンネルに寝台急行を走らせることは困難とのことで廃線が決定。個人的には、函館=札幌間だけでももう何年か残してほしいのだが、そんな需要もないし経済合理性もないのだろう。

旧型車両で、あえて効率の悪い、むしろ飛行機より値段も高い、こういう寝台車で旅をすることはある意味とても贅沢な訳で、買い込んだ乾き物やビールを飲みつつゆっくり走る列車の車窓から見える夜景や時々通過する駅の様子を眺めるのは本当に楽しいものだ。

なんとか乗らないと、、、と思い続けていたら、もう残り3ヶ月になりつつある。
今日みどりの窓口で聞いたら既に予約が取れる一ヶ月後までのものは完売、午前10時に売り出され数分で全席なくなるそうだ。今の時期の一ヶ月先が年末年始だからということもあるが、ラストランが近づくとあけぼのの時同様チケットの確保は困難を極めるだろう。。。

もっと早く一度乗っておくんだった。。。。。。。。。

いや、まだ遅くはない?1月中旬とか?めちゃ寒そうだが。。。。

参考リンク;

急行がなくなる(1)…「はまなす」廃止で何が困る

寝台急行はまなすに乗ったよ カーペット車の料金や空席状況は?

【ライブ観戦記】石野田奈津代さんコンサート@高田馬場

石野田奈津代さん、という歌手を知っている人は私の周りでは少ないだろう。
ましてファンだという人もかなりレアだと思う。

10数年前に、伊豆諸島の神津島に旅行に行ったとき、泊まった民宿(山下旅館別館)に、神津島出身の彼女のデビュー後のファーストアルバム ひまわりが置かれていた。こんな人口も少ない島から高校生がメジャーデビューというのは本当に偉業だが、あいにくCDの売上はソニーミュージックの期待を下回り、2年で契約終了。その売れ残りの在庫(失礼)を衝動買い。結構気に入って、いつか生で聴いてみたいな、と漠然と思いつつもその後すっかり忘れていたのだが、偶然新宿のレコード屋hmvのインストアライブでの彼女の歌声をバッタリ聞いて、CDアルバム さくら を店頭で購入、サインもしてもらったような。

そんなご縁?で時々ライブにも行くようになった。

彼女の公式HPでのプロフィール

かの小田和正さんが、かつて彼女の歌を激賞したこともあるらしい。

【あの小田和正も】ライブで泣かせるオンナ【認めた】

ただ、おそらくはライブに来てるのは結構前からの固定ファンが多く、新しいお客さんは少数だと思う。素晴らしい曲と歌声なので、多くの人に聴いてもらいたいなーと心から思う。

以下はyoutubeのリンクです。もし良かったら一度聴いてみて下さい。

石野田奈津代 春空
 (たぶん彼女の最大のヒット曲、PV)

石野田奈津代 オリオン (彼女のファンの間で最も人気の曲、ライブバージョン)

米国に最初に上陸した日本人

先週、北米在住の友人が日本に一時帰国しており、雑談している中で、「米国本土に最初に上陸した日本人」についての話を聞いた。あまりに興味深い話なので、ネットで色々と調べてみた。

ジョン万次郎、いや支倉常長かな、と思いきや、意外な答えが。正解は「三吉」、これは漂流した漁民三人の名前の総称で、音吉(乙吉とも云う)、岩吉、久吉の三人を指す。彼らは中部国際空港(セントレア)の南に位置する現在の愛知県美浜町出身の漁師。1832年、江戸に向かう米を積んだ船が遠州灘で難破し、1年余り太平洋を彷徨い多くの同僚船員を亡くしつつも、シアトル郊外にあるオリンピック半島先端のフラッタリー岬に漂着した。

その後も相当に数奇な人生を送ることとなる。

一度は現地で奴隷のような状態になったらしいが、イギリス船に保護され、彼らはロンドンに渡る。英国に上陸した最初の日本人も実は彼らと言われている。

当時の英国は彼らを日本に返そうとし、ロンドンからマカオに送られた。この時点で日本を出てから三年が経過。ここで史上初の聖書の日本語訳に協力。

それから2年後、アメリカのモリソン号にて帰国しようとしたが、当時の異国船打払令により砲撃を受け帰国は叶わず。上海、そしてシンガポールに定住した最初の日本人となり、そののち英国に帰化した最初の日本人となる。実に初物尽くしである。

音吉が卓越した人物だと思うのは、こんな状況にありながら、我が身を嘆くのではなく、上海において日本人漂流民の帰国に尽力し続けたことである。彼が日本への帰国を助けた漂流民は約20名という。

1843年に上海の英国系貿易会社で働き始め、上海で生活していた1861年までに、日本との通商を希望していたイギリス政府の通訳として2度日本に上陸した。そして1862年にはシンガポールに移住し貿易会社を経営。しかし、1867年、明治の直前に病気のため50歳で死去。なんとも大河ドラマになりそうなほど壮烈な人生である。

江戸時代の日本人で海外に渡った人としては、ロシアの大黒屋光太夫や高田屋嘉兵衛らが有名だが、音吉さんも、海外進出した偉大な日本人の大先達、そして日英通訳翻訳のパイオニアとして、歴史教育で取り上げられてもよいのではないかと思う。

参照記事;

*愛知県美浜町公式HP にっぽん音吉漂流の記

*音吉 wiki

*ブログ 百聞は一見に如かず「アメリカとイギリスに上陸した日本人第一号とは?万次郎の先を行っていた国際人」

 

セミナー参加日誌 『本音×理解×教育⇒可能性∞』

今週の火曜、都内某所で開かれた『本音×理解×教育⇒可能性∞』なるセミナーに参加。こちらの会合には、友人である官僚の方にお誘い頂いたのをきっかけに時々お邪魔している。その方と、広告代理店の方ら幹事の方が幅広い異業種交流会&勉強会として毎月開催されていおり、すでに2年くらい続いているらしい。

だいたい19時くらいに開始し、その日の講師の方がお題として何かをお話し、それを題材に3−4人くらいの小グループで意見交換、そのあとはありがたいことに?ビールやおつまみが出て、お酒を片手に自由に話をするというスタイル。幹事の方のネットワークのおかげで面白い方とお話がフランクな雰囲気で出来るのがとても楽しい。

いろんなお題の会があるのだが、教育関係については、やはり誰もが関心のあるテーマということで2−3ヶ月に一度開かれている。

今回は秋田県の教育関係者の方がゲストとして招かれていた。酒どころの秋田だからか、しょっぱなからビールが振舞われたのは嬉しい(笑)お話の中で気づいたこと、思ったことをいくつか。

-秋田県は昔から教育県。小中学校時の成績は全国の中でもかなり上位。しかし、高校ではだいぶ順位を下げてしまう。

-過疎化は年々進んでいる。秋田県は秋田市を含め、大潟村以外全自治体が将来消滅の危機にあると言われている。そういう状況を受けて、小中学校でも地域のことを教え、地元に誇りを持ってくれるような教育は進めている。ただ、それによって地元に残る、あるいは将来帰ってくるような若者が増えるかどうかはまだわからない。

-そんな秋田県には、秋田県立の「国際教養大学」という大学がある。2004年に出来たばかりだが今や立派な超難関大学。ただそれがゆえに秋田の県立高校出身者が合格するのは相当難しい。秋田県出身者枠を設けてその中で進学する生徒もいるがやはりついていくのは大変。この学校の大半は東京など大都市圏の出身者、卒業後の進路も東京ベースの大企業や外国企業が多く、せっかく日本中から来た学生たちは、必ず1年以上の留学を経験するなど国際的な視野を広げる一方で、多くは秋田県とはあまり接点がなく通り過ぎてしまう。

などなど。

わずか10年でこれだけのレベルの大学大学を立ち上げ、起動に乗せていらっしゃることには、創立者である故・中嶋嶺雄前学長(元東京外大学長)はじめとする関係者の皆さんに本当に敬意を表する。

しかし、せっかく秋田県という様々な歴史、文化を持つ地域との繋がりを活かしきれていないというのは残念としか思えない。これからは地方が直接海外と繋がり、人の交流やビジネスを促進する時代だ。こういう大学を出た地元出身者、あるいは他地域からの学生が、例えば秋田県庁や秋田市に就職し、あるいは地域で起業し、新しいビジネスを切り開いてゆくようになって欲しいし、大学のカリキュラムにも、もっと地域と繋がるような産学連携があってもいいのでは、と思った。

秋田の国際教養大のことばかり書いたけど、実際はそんな話題は全体の中の1%くらいで、他にも学校と地域の関わり方(池田小事件前と後)とか、教育委員会とは何か、など興味深い話題いろいろ。またお邪魔したいと思いました。幹事の皆様、ありがとうございました。

最後に、今回参加された大学生の方から「ここで色々話すのはいいけど、皆さん明日から具体的に何をするんでしょうか?自己満足で終わってしまいませんか?」という素晴らしい問題提起も頂いた。ほんと、もっと真面目に生きないと。

 

はじめに

はじめまして、のぶ。と申します。

こちらのHPにて、自分が強く興味を持っている分野である、漫画、野球、フィギュアスケート、鉄道&旅、地理歴史、地域活性化、酒、昭和歌謡などについての記事を書いてゆきます。

それ以外に、日々の気づき、考え、読書日記、旅行記、セミナー・講演会感想なども投稿してゆきます。